近況その他あれこれ - 103
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中欧4ヶ国を巡って 2

khaus-r 全く予想外は今回ザルツブルグから一寸だけ西に移動してドイツに入り、ベルヒテスガーデンに行った。ここの山頂には専用道路と専用エレベーターでケールシュタインハウス(ヒットラーの山荘)があった。よく記録映画でヒットラーとエヴァ・ブラウンが山の上の山荘でくつろぐ姿が映っているあれである。これはヒットラーが作らせたのではなく、ヒットラーにおべっかを使う部下からヒットラーへの50歳誕生日プレゼントだという。ムッソリーニが贈ったという大理石の暖炉もそのままでした。一昨年訪れたアウシュヴィッツとの対比で複雑な心境でしたが、歴史の一端に触れたとの感触は貴重。
 オーストリーではザルツブルグ近郊のハルシュタット湖で地元産の岩塩をお土産に買った。風味があってとても美味しい。ザルツブルグはご存知音楽の街、「サウンド・オブ・ミュージック」でマリアと子ども達が歌い踊るミラベル庭園やモーツアルトの生家を見て、ザルツブルグ音楽祭の会場横を通って、街と城を見渡す高台からの眺望は素敵でした。これらの美しい自然や景観がいつまでも守られる様にと祈ります。

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 ウィーンまでの道は途中から世界遺産のヴァッハウ渓谷に沿って進み、途中の街でひと休み。渓谷といっても、日本の狭い急流の渓谷とは大違い、幅広くゆったりと流れるドナウの流れ。オランダやドイツからも観光客を乗せてホテル兼の大型観光船が行く。街の外れの五つ星ホテルのテラスで渓谷を見ながらゆっくりとお茶するのも情緒がある。ゆっくりし過ぎて、バスの待つ集合場には駆け足となってしまった。

mm ウィーンは小生は4度目、女房は初めて。一寸おしゃれをして出掛けたウィーン楽友協会ホールでのモーツアルトコンサートは観光客向けで一寸がっかりだが、雰囲気は楽しめた。翌日の市内観光はハプスブルク家の夏の離宮のシェーンブルン宮、そして美術史美術館と日本語ガイド付で回り、よく説明が分かって感激した。シュテファン寺院は覗いただけで、カフェ・デーメルでティータイム。この辺はよく練られたスケジュール。昼食後に自由時間でここはプラハでマリオネットをご一緒したご夫妻とクリムトを観に市電でベルベデーレ宮殿上宮へ。最近は旅慣れたご夫婦が多くて、環境も同じなので、気兼ねなく、ご一緒できるのも楽しい。

 今回の訪問先ではホテルのレベルの差もあるだろうが、トイレットペーパーの質の差と自動車のバッチ、新しさ、人々の元気さがほぼ正比例する様に思える。人々の顔付きは18年前よりも明るくなったし、自信も垣間見える。でも満面の笑み、強い自信は見ることが出来なかった。ツアー客がそんな場に立ち会えることは無理なのだろうが、現地の人との生の触れ合いも欲しかった。思い出すのは小生が初めてデトロイトを出張で訪れた1980年代の黒人の淋しげな顔、挑むような顔付きから、デトロイト駐在時(1997-2005)の黒人の晴れやかな穏やかな顔、自信に満ちた顔、今はどんな顔をしているのだろう?

 旅の楽しい想い出は大切にしながらも、やはり海外を廻ると色々と考えさせられることも多い。今回は特に第二次世界大戦とその後の冷戦、東欧の民主化プロセス。以前聞いた話では東欧の民主化は衛星テレビがもたらしたと言う。西側のラジオやテレビを隠れて視聴した東側市民が民主化を不可避にしたとのこと。今でも報道管制や事前検閲の国が我々の身の廻りに多々ある。言論の自由、報道の自由は民主主義の要。それ以上に大切なのが人の尊厳、生命への畏敬の念だと思う。

 欧米の植民地主義、ナチズム、日本の軍国主義、ソ連の共産主義や恐怖政治、その結末や不幸な姿をいくつか見てきた。メキシコやペルーの遺跡、アパルトヘイト時代の南アフリカでの見聞、アメリカ南部での “We are not separating, but we are separated.”という言葉、カンボジアの虐殺収容所、アウシュヴィッツ絶滅収容所、イスラエルのパレスチナを浸蝕包囲する高い隔離壁、等々。

 我々の心の中から恐怖、妬み、不信、憎悪、貪欲、不満、怒りを取り除かないと、本当の和解、平和、繁栄は来ないと思う。長い道のりだが、高い理想に燃えて闘った偉人達の足跡を辿り、微力でも平和の文化を広めるお手伝いができればと思う。

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(2013.8.16r) 次の近況報告へ→



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上智大学外国語学部英語学科 昭和39年入学43年卒業組ホームページ
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