近況その他あれこれ - 103
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中欧4ヶ国を巡って

 6月25日から7月4日まで、女房と中欧4ヶ国を廻ってきた。18年前に仕事で民主化直後の東欧を回った時のことを思い出し、
変わったところ、変わらないところ、気が付いた事を少し書いてみようと思う。
1995年4月にドイツ、ハンガリー、ポーランド、チェコ、オーストリーを廻った。当然見るのは自動車関係、
工場があるのは郊外。今度は団体ツアー、同年代のご夫婦連れが大半で、ハンガリー、スロバキア、
チェコ、オーストリーの観光地を廻った。 町田雅昭

ブダペスト まずブダペスト、「ドナウの真珠」と讃えられる程美しい大都会。今回はドナウ河のナイトクルーズが圧巻だった。

 前回は街を見てもビルの壁にはハンガリー動乱時の銃弾の痕が残っていたが、今回は探したが見つからなかった。前回のガイドは流暢な日本語だった。ハンガリー共産党諜報部の日本語課だったという。彼の自慢はモンゴル帝国やオスマン帝国がヨーロッパに攻めて来た時に防衛し、キリスト教世界を守ったのはハンガリーだった、ベルリンの壁の崩壊の元となったヨーロッパピクニック計画で国境を開いたのはハンガリーだったという。その反面共産党政府下では学校で学ぶハンガリー史は共産党政府成立以降であり、それ以前の歴史は葬りさられた。自分の家にソ連兵が来て父親は強制収容所送りになった。母親も殺されそうになった、等々、ソ連の圧政に対する恨み辛みの連続でした。 今回は観光ということもあり、そんな話はなかったが、独学で日本語をマスターし、日本留学したというガイドは、大型スーパーマーケットを見る度に、ハンガリーのスーパーは全て外国資本で値段も高いと不満げで、西欧の資本主義の搾取を敏感に感じ取っている風にも見えた。ただ確実に生活水準は向上している。

 街並は前よりもずっと奇麗になり、古ぼけた車だらけだったのが、今は目に見えて奇麗になっている。だが、人々の顔付き、特に若者の顔付きは明るいとは言えないと思えた。中欧の中で唯一のアジア系民族で昔は蒙古斑点があったが、最近は少なくなっているとのこと。ただ顔付きを見る限りでは、スラブ系に見えるのは気のせいか?

 自動車関係に戻ると、前は旧式のソ連製LADAやルーマニア製DACIAがまだまだ多く見られ、欧米バッジが増えている中で奮闘しているのはVW系のチェコ製SCODAやスズキのハンガリー工場製の車。今回は欧米系バッジの車(VW、BMW、Audi、Benz、Ford、GM Opel、Renault、Citroen、Peugeot、Fiat、Seat)が大半で、他にSCODA、日本車(スズキ他)、韓国車が健闘している。自動変速機(AT)の装着率は低く、目測で10%以下。これは郊外や地方の道路はロータリーが多いせい、もっと基本的にはAT車の方が割高で燃費が悪いとの認識によるものと思われる。

s  さて、スロバキアのブラチスラバは可愛い奇麗な街、ここが首都。街の広場ののんびりした空気に安らぎを覚える。こちらの国の方が明るいと感じるのは日差しのせいばかりではなさそう。街のあちこちに遊び心が見てとれる。

 一寸びっくりは、ここからチェコのプラハへ向かう高速道路。チェコに入ると継ぎ目が続き、列車の様にゴトゴトと継ぎ目で音を立ててバスが揺れる。チェコは機関銃で有名な工業国なのにとどうしてと思う。でもプラハの街は観光客で一杯。プラハ城、カレル橋、旧市街広場と歩く。宗教改革を唱えたフスの処刑された場所、近くにはヨーロッパの多くの街にある拷問博物館もある。まだ見たことのない人は是非一度は見ておくといい。宗教が行き過ぎると人間性も破壊されるよい実例だ。ここでは他のご夫妻に誘われて、名物の人形劇を見た。初めての「ドン・ジョバンニ」、ホテルに戻ってからインターネットで調べてストーリーとその結末の恐ろしさを知ってびっくり。

 オプションのクトナー・ホラでは聖バルバラ大聖堂のアール・ヌーボーの絵窓の美しさにうっとり。 プラハでは日本人ガイドでテキパキして良かったのですが、出来れば現地人ガイドから「プラハの春」やチェコ人の誇りは何か話を聞きたかった。

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ches チェスキー・クルムロフはお伽の国の様。現地人のガイドはひとの良さそうな日本語片言のオジさん。しばし散策し、古都の風情を楽しみましたが、若者達は街を囲む清流で歓声をあげてラフティングを楽しんでいました。

つづく→ 

 

 

 




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上智大学外国語学部英語学科 昭和39年入学43年卒業組ホームページ
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