昨夜(5月29日)、馬込君から電話があり、30分ほど本人と他の何人かの近況について情報交換をしました。
小松君、岡田君など、私の方で今まで連絡方法がわからなかったり、行方知れずのようなかたちだった数人が彼とは連絡があるようで、ともかく一人でも多くの
クラスメートが元気でやっているのが確認できて良かった。
戸田君は昨年のクラス会では、あちこちに教え子がいたりするので、帽子を目深にかぶってなるべく目立たないようにして歩くんだ、とかわけのわからないようなことをぶつぶつ言っていたような気がするけど、仕事はきちんとやっているとのことです。ま、照れ隠しかな。
長坂君は今カナダにいるそうです。
きわめて個人的な事情のため詳細は話せないこともあるけど、一方では岡田君は高度な内容の論文(エッセイのようなものかな?)
を書いていたとか、それを馬込君がほめたら恥ずかしそうにしたとか、30数年前の本人が思い出されて、おかしかった。私はいつも学生服で思いつめたような表情の明確なイメージが残っているのだけど。
そう言えば、「細胞」というクラス文集を作ったね(男女混合クラスで)。
今読むと気恥ずかしいことばかりだろうけど、当時は時代状況もあって、熱かった。
小稲先生もこの文集については印象深かったらしく、 亡くなる1年ほど前に馬込君がご自宅へ伺った時もその話をしたらしい。これはガリ版で印刷し、理工学部の陳先生の教室を借りて出来あがった順にページをそろえ、四谷の個人経営の印刷所へ運んで印刷し、製本したもの。私は途中でかなり疲れて進行が停滞していたこともあるけど、クラスメートが引き継いでやっと出版した。
なお、馬込君本人のことですが、昔、点字の参考書(!)を 出したことがあり、それがいまだに使われてると言うことです。
そのほか受験参考書をいくつも出していて、北海道から 九州まで、全国で使われているようです。見本誌を送ってもらうので、機会を見てホームページで紹介しましょう。
本人によると、この電話のきっかけは、 教え子がインターネットの検索サイトで英語学科のホームページの中に掲載した馬込君のお便りを見つけたことだと。
「これ、馬込先生ですね。わーい」と言うようなことだったらしい。検索エンジンの威力はすごいね。
(笠松 亮)
▲ソフィア英語学院院長馬込一敏君の近著。6月6日に到着しました。
早速拝見しましたが、懇切丁寧なつくりで、これまでの集大成という感じです。
しかし「e-mailで連絡をとる」など、インターネット関連の表現も随所に
取り入れられており、内容はアプデートされてます。
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昨日(5月29日)、こんなメールが笠松宛に来ました。問い合わせです。とりあえずホームページに掲載してみると返事をして、ccで篠崎さんにも送ったところ、彼女からすぐ返信が送られています。これまでのやり取りを掲載しますので、心当たりのある人は満田君にメールを送ってください。
(メール1: 満田→笠松)
41年英語科入学の満田と言います。 先般上智大学の公式サイトを訪問した際に39年英語科のホームページを見つけま した。ニッセル神父の懐かしい写真を拝見しました。私は在学中はほとんど教室に近寄らずニッセル神父や故フォーブス神父を困らせた方ですが、1年の時はまだ真面目で語学劇(英語)に参加し「Arsenic
and old lace」を演った記憶があります 。もっとも出番はほんのニ・三分程度でしたが。手元に記録が残っておりません。昭和41年の12月(10月だったかも知れません)新宿西口の安田生命ホールだと思います。そちらのメンバーでこの事ご記憶の人がおられたらご紹介願えないでしょうか。
満田一郎 日立マクセル(株)勤務
(メール2: 笠松→満田、cc篠崎)
満田君、近日中にお便りの内容をホームページに掲載しましょう。誰かが読んで、何か関連したことを メールして来るかもしれません。
しかし、この文面では何を知りたいのか漠然としてますね。もっと具体的に書いたほうが良いでしょう。 41年入学なら、2年後輩と言うことになりますね。
私が知っている英語劇は「Our Town」で、磐長谷君などがやったものだけです。 笠松 亮
(メール3: 篠崎→満田)
39-43の連絡役の篠崎です。 私は"Our Town"の母親役をやりました。卒業までseldaに属していましたが、お便り
にあるドラマの記憶はありません。 満田さんと同じクラスでいらした丹野真さんが現在英語学科教授でいらっしゃり、ご専門も米文学で、フォーブスさんやメイスンさんの演劇のこともご存知で資料もお持ちかもしれません。
お問い合わせになったらいかがでしょうか。 英語学科のtel は 03-3238-3719、丹野先生の直通は 03-3238-3728です。私は15年前に英語学科で、2,3年、その後8年同窓会に勤務していました。
篠崎多由美
(同、追伸) 丹野真さんですが、入学は40年かもしれません。私が"Our Town"をした時は1年後輩でお手伝いしていらしたと思います。多分留学なさって卒業は45年になっています。いずれにせよ米演劇もご専門ですので、なにかわかると思います。
(メール4: 満田→笠松 5/30)
おはようございます。 早速ご返事いただき有難うございます。
磐長谷さんの名前に覚えがあります。多分監督かなにかをしていただいたのではと思います。
うろ覚えですがこの英語劇をおこなってまもなくアサヒイブニングニュースかな
かの新聞に紹介された、等をという事を最近思い出し、その新聞を見たくなりました。その為英語劇を行った日が判ればと思いお便りいたしました。お手数をおかけ
いたしました。 満田
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