本日、なんと、磐長谷真君からメールが来ました。私(笠松)にとってはほとんど卒業以来の交信です。クラスメートの何人とは情報交換をしていたとは思いますが、クラス会などには出席していなかったと思うので、ほぼ40年ぶりのことです。本人の了承を得たので、写真と一緒にここに掲載します。(原文のまま)
今週はじめに篠崎さんからのAir Mailが届きました。そして仕事のあいま合間に恐る恐るホームページとやらをひらき、三日ほどかけざっと全部に目をとおしました。まさか自分の直接関係のあるHPが存在するなどとは思ってもいなかったので感謝感激であります。見ているうちになんとずいぶんと(何年も)前からのものと分かりました。私も二年ほど前より日本語の使えるPCにかえてもらい、おかげでこんな楽しみもできるようになったのです。逆にクラスメートがこんなに和気あいあいと一緒に楽しい集いをおこなっっていることを知りちょっとショックでもあります。
先般町田君より突然E-メールが届き写真といっしょにソフィアESSの集まりがあったことなど知りました。どこかで途切れていた過去とのつながりが皆様方のおかげでどうも復活しそうな予感がしてきているしだいであります。4月7日のクラス会、気持ちはとてもとても参加したいところですが、まだちょっと決断はできていません。
僕のジャカルタでの生活は20年を超えてしまいこれからどうなってゆくのか自分でもわかっていません。日本人との会合とゆうと唯一ジャカルタ ソフィア会に上から二番目の長老として参加しています。
津波、地震、火山の噴火、洪水、テロ、そして航空機事故とこのところたてつずけに災害がおきているインドネシアですが、ジャカルタでのわれわれの目下の問題は、空気、水、ごみ公害に加え毎年7百万台生産できる体制を持つ二輪車による事故の増加です。
卒業後40年の溝をうめるにはかなりの時間がかかるでしょうが。。。 そーいえば確か銅祝のときには丁度日本にいて四谷に行った記憶があります。。。 Never Too Lateですよね。
最後に、この地で僕の最も愛する食べ物 “BAKSO” (“バソ”)を食べている僕を紹介し(2月に携帯でんわのカメラで撮影)今回のしめくくりとします。添付三枚の写真はぼくが毎週土曜日の朝100kmのみちのりを一山こえ2時間かけてたべにゆくBAKSO OTOY (ばそ おとい。。。 おとい おじさんのばそ とゆう意味です)。BAKSOは肉団子でたべているのは肉団子入りビーフンスープです。もうこの10年毎週このBAKSOたべたさゆえ早朝のドライブでcianjur(チアンジュール)とゆう町にゆくのです。作っているのがOTOYおじさん、鍋の中が4種類のバソ、たべているのが“僕”です。一週間で最高に幸せなひと時。ちなみにいっぱいが4000ルピア(約50円)でかならず二杯食べます。
それでは又。元気なうちに再会ができるよう精進します。