近況その他あれこれ - 102
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Red star over China (中国の赤い星)の路を辿って つづき

延安

6西安からの新幹線で2時間で延安に着いた。どこに安いホテルがあるのか解らないので駅前の一番近いホテルに飛びこんで値段を聞いたら100元だった。「身分証」と言われてパスポートを見せたら直ぐ返してよこした。中国語以外は話してはいけないホテルだということが解った。観光パンフレットは1枚だけありそれを見て延安紀念館、棗園、楊家嶺と宝塔が訪れるべき所だと知った。延安紀念館は若き日の毛沢東の銅像が出迎えてくれる。今まで訪れた博物館の中で一番充実していた。初めて見る写真が沢山あった。さすがは13年間紅色中国の首都だった所である。楊家嶺は長征を終えた紅軍の領袖たちが最初に住んだヤオトン(横穴式住居)がある所。棗園は次に移り住んだ所である。ヤオトンはシンプルな造りで必要最小限の物しか置いてなかった。毛沢東のヤオトンに若き日の江青との写真があった。江青は美人である。「四人組」の一人だが若い時は悪い人ではなかったと思う。抗日戦争、内戦の時妻として常に傍で毛沢東を支えた人なのだから。終身制の権力機構がまずかったのである。この欠陥はケ小平により改革された。現在の中国指導者の定年は70歳。民主主義と独裁体制の違いはあるが、80歳でも衆議院議員となり国に害を与え続ける人がいる日本と比べて、どちらがいいのだろうか?

洛陽

7龍門石窟群は伊河の両側にある。メインは盧遮那仏がある西山である。対岸の東山のはずれにお寺があった。ここで新発見をした。西安事変直前の11月に、張学良、楊虎城等の西北軍の督戦に向かう蒋介石がここに立ち寄ったのである。洛陽の宿では良いことが1つ、悪いことが1つ起きた。良いことは長沙で会った中国人学生と再会したことである。全くの偶然で周囲の若者たちを巻きこみ話が弾み、中国語会話のプラクティスに大いに役立った。悪いことはドミトリーの同室の者にカメラを盗まれ、これまで撮った写真の全てを失ってしまったこと。充電している脇にカメラを「盗んでください」とばかりに置いて部屋を離れたのだから当然である。もっと「小心」であるべきだった。という訳で添付した写真はインターネットからのコピペです。しかし私が実際に撮ったものとたいした違いはありません。

 

登封

8「登封」と言われて何がある所が答えられる人は少ないだろう。しかし嵩山・少林寺と言えばほとんどの人が知っている。少林寺は登封市にあるのである。洛陽からバスで2時間だが、西安で登封出身の若者に2泊した方が良いと言われたのでそうした。着いた日はとても寒かったので、寝転がって読書で過ごし、夜「禅宗少林・音楽大全」を見に行った。驚いたことに屋外劇場だった。自然の山を背景に演技が行われる。寒い上に風の強い日で大衣(分厚いオーバーコート)を借りずにはいられない。送迎はホステルに頼んだ。ティケット代と合わせて400元ぐらいかかった。これは普通の中国人ならとても高いと感じる金額であろう。その上、演技者と客席が30mぐらい離れていて表情が見えないし、高さ、幅があるので首を振らなければならない。期待はずれだった。このやり方はハバナのトロピカーナで見たことがある。「雨の日はどうするのか?」と聞いたところ、トロピカーナは「屋内シアターが用意してあります」と答えた。そこで同じ質問を車で送迎してくれた女性にしたら「雨でも雪でも零下15度でも365日公演します。客も演技者も雨具、大衣を着て対応します」とサッカー観戦をするような感じの答えが返ってきた。正直に言って、がめつ過ぎやり過ぎだと思う。翌日少林寺を訪れた。敷地内で30分の武術演技を目の前で見た。30元だったが期待通りの演技だった。

大同

9日が余ったので、龍門石窟と雲岡石窟を比較してみるのもよいかなと思い、大同に行き雲岡石窟を訪れた。驚いたことに65歳以上だということで免費(無料)だった。雲岡石窟と龍門石窟は共に北魏という国が作った。大同を首都としている時に雲岡を、洛陽に遷都してから龍門を作った。それを考えると龍門の方が良さそうなものだが私の印象は違った。龍門はただ広いだけ。雲岡には洞窟を覗いた時に「わ!」と驚かせる物がある。3大石窟を全て見たことになるので感想を述べておくと、敦煌は学術的には素晴らしいのかもしれないが、ガイドが鍵を持っていて開けないと見ることができず、自由に散策できないのでつまらない。龍門は広いのでデイトするには良い。素人が見て良いと思うのは、雲岡、龍門、敦煌の順になると思う。大同では現在森ビルやナポレオン3世が腰を抜かして驚くだろう大破壊、大建設が進行している。大同を訪れるのは1986年以来2度目である。「上華厳寺、下華厳寺と別れていたのに、5重の塔もなかったはずだけど」と思っていたら、3年前から始まった改造計画により「華厳寺」として合併、塔は復元したらしい。その際技術が無くて困った市長は京都に要員を派遣して学ばせた。多分東寺であろうが聞き取れなかった。こんな所に小さな技術交流があったのである。数年後大同の中心部は様相を一変させ、現在の地図は通用しなくなるだろう。3龍壁、5龍壁、9龍壁を見た。きっとどこかに7龍壁もあるに違いない。

北京

大同から6月3日に北京に着き、久しぶりに天安門広場に行ってみた。閉鎖されていたので「変だ」と思い聞いてみたら、「天安門事件」の記念日だった。24年前の6月3日の夜から4日の朝にかけて解放軍が出動しデモ隊を蹴散らしたのである。当時私はCNN にかじりついて実況中継を見ていた。ゴルバチョフは優先順位を民主主義、経済発展の順にした。ケ小平はその逆にした。政治家は結果責任で評価される。ケ小平の決断は正しかったのであろうか? 中国の今日の発展を見れば答えは明らかである。4日の朝、まだ閉鎖しているのかなと思って広場に行ってみた。普段通り観光客で溢れていた。

「取りあえず写真を撮っておかなくちゃ病」が完治しました

私は元来カメラを持ち歩く人ではなかった。理由は外国の新聞が日本人の見分け方と称して「メガネをかけ、カメラを首から下げている」皮肉ったことによる。例外もいることを証明したかった。またプロのカメラマンがベスト・チャンスに撮った写真にはかなわない。だったら写真集を買って持ち帰ればよい、ということだった。病気になったのは退職して、オアハカ、ハバナへ行った時からである。サルサを習うつもりだったので、短い期間では覚えられないので、復習できるようにビデオに撮っておこうと思った。偶然そのカメラに静止画機能が付いていた。時代はプリントアウトする時代からコンピューターの大画面で見る時代に入っていたので写真の撮りまくりが始まった。撮りながら「後でろくに見もしないのに」とつぶやいていた。その重病が洛陽でカメラを盗まれた途端、完治した。大同の旅は解放され自由でとても楽しかった。カメラを盗まれたのは残念だが、病気が治って良かった。

(2013.6.18)  次の近況報告へ→



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上智大学外国語学部英語学科 昭和39年入学43年卒業組ホームページ
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