プノンペン中心街から20分程度のところになんと綺麗なラブホテル群があり、若干の工場(繊維関係か)、そしてしばらく行くとレンガ工場、それから先はバナナの葉を葺いた貧しい高床式の家々が続く。半分水中の家々もあったし、きちんと屋根瓦を葺いたまともな家もある。街中では水道や井戸があっても、ここらでは雨水を貯める甕をよく見かけた。炊飯は薪が大半という。電灯線はないのにTVアンテナが立っている家もある。小型発電機でも持っているのか。又ところどころに派手な装いの仏教寺院があり、更にあちこちに政党の看板(&連絡事務所?)が立っている。半独裁の政権でかなり腐敗している様だが、それでも平和を確保出来、観光を含め、少しずつでも経済発展しているのなら、以前と比べれば及第点か。少なくとも都市部の人達(特に若者)の顔付は明るいし、元気だ。
途中のレストエリアでは地雷の被害者の物乞い、子供達のフルーツ売り、おばさんの食用蜘蛛売り、等々。それにお土産屋や食堂からの呼び声が響く。このフルーツを買って食べたのが災いか、それとも隣に座ったカンボジアの青年が呉れたゆで卵の塩(岩塩?)が災いか、メキシコでも大丈夫だった我が胃腸がついにやられてしまった。
この辺りからは穀倉地帯なのか、水田が拡がる。米が二期作される。農耕用の牛がいるが、みんな痩せこけている。丁度雨季だったので水が国道のすぐ横まで迫っている。カンボジアの産業は農業(米、サトウキビ)中心+若干の繊維産業。一人当たりGDPは$500一寸(≒$1.4/日)。アフリカの1人1日1ドル以下よりは若干はいいが、貧しいことに変わりはない。最近はアンコールワットを中心とした観光産業が脚光を浴びている。観光客は韓国>中国>日本>米国の順だとか。
さて、アンコールワットのあるシェムリアップ市、旧市街の外側に欧米資本の大型リゾートホテルが立ち並ぶ。カジノもある。もしシェムリアップ空港に直接飛んで来て、これらのホテルに泊まってアンコールワットと民族舞踊だけを見て翌日空港からタイやシンガポール、ベトナムへ行ってしまえば、カンボジアは殆ど見なかったというに等しいと思う。今回はプノンペン4泊、シェムリアップ2泊、そしてプノンペン、シェムリアップ間は観光バスで往復(片道6時間)は無駄ではなかったと思う。
アンコールワットの遺跡群は過去の栄光を物語り、圧倒されるものがある。アンコール・トムは仏教遺跡。その手前のアンコールワットはヒンドゥ教遺跡、全体を堀に取り囲まれた神聖な土地に聳える5本の塔が素晴らしい。アプサラ像のリリーフや王の物語を彫りこんだ回廊のリリーフが夕陽に映えて美しかった。更に大木の根に覆われたタ・プローム寺院。人間の営みを自然が静かに包み込んでいく感じ。クメール・ルージュ時代、遺跡の修復技術者も数人を残し、皆虐殺された。当時の弾痕も生々しいし、社会復帰した地雷被害者が6-7人楽器を演奏して観光客からのチップで生活しているが痛ましい。物売りの子供達の顔も暗い。卑屈になるなと言っても無理なのだろう。アンコールワットの絵がプリントされたTシャツが1枚3ドル、2枚で5ドル、生地は薄いし品物は上等ではないが、それにしても安い。
そのアンコールワットは世界遺産に登録され、各国政府やNGOの支援、援助の手が差し伸べられている。各国はODAの形でカンボジア政府に資金を渡さずに、それぞれが独自に遺跡毎に分担して技術者を出し、現地の労働者を雇って、遺跡の修復をしている。でないと援助金の2/3以上は途中で消える(政府高官他がネコババ)との事。上智大学は独自で現地の修復技術者を養成しているし、イオンは「イオンの森」を育てている。そう言えば、プノンペン空港に降りたときに、JICA、カンボジア経済視察団、UNICEF、WFP(世界食糧計画)等々の出迎えの人が来ていた。カンボジアは今国際援助のオンパレードの様相。早く自立できる様に願う。